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Ecco!No.3 臨床家は理論と実践との対話を続けていくべきだ

編集:認知運動療法研究会
製作:協同医書出版社編集部
(2000年5月10日)

宮本省三:

 日本において認知運動療法は非常に注目されているんですが、多くの問題も抱えています。最大の問題は、理論としても技法としても認知運動療法には非常に興味をもつんだけれども、実際の現場では筋力訓練や歩行訓練といったような従来ながらの動作訓練を乗り越えられない、それから決別できない。自分の興味と現実とのはざまで、言ってみれば、心は認知運動療法にあるんだけれども実際の毎日の労働行為は古典的なものをやらなければいけないということが、非常に大きなストレスを生んだり生みつつある状況があります。好きな人がいて結婚したいんだけど親に反対されているようなものです。だけど最後に愛は勝つ(笑い)。…また日本での認知運動療法は、まだそれほど正確な形で臨床現場に広がっている状態ではありません。子どもの臨床も実際に先生に見学していただいたものが日本の状況と言えます。少なくとも小児領域での子どもの発達の捉え方は、運動や言語、さまざまな感覚モダリティや人間の認知的なプロセスに関する知識がばらばらに解釈されていて、統一感をもっていない。生きていく人間の知識の組織化といったものをトータルに理解できない。非常に機械的な、単純化されたフレームで見ていこうとする風潮が続いている感じがします。そういったことが起こってくる原因は、やはり子どもを見る統一された一つの視点というものがないこと、言い換えればそのための理論の統一がほとんど行われていないことが大きいと思います。先生が今回の学術集会特別講演のタイトルにもつけられている「カルチュアルプロセス」と「バイオロジカルプロセス」という二つ、この二つの世界を見る統一した視点、言い換えると発達におけるヴィゴツキー的視点とピアジェ的視点の両方を融合させた観点が、先生たちの臨床の基本にあると考えてよいのでしょうか。

パオラ・プッチーニ:

 はい、そのとおりです。

宮本省三:

 臨床ではどうしても子どもを観察していく方法論として運動という現象に着目せずにはいられないと思うのですが、ペルフェッティ先生には運動というものが、それを生み出すためにつながったいろいろな鎖の最後の輪であると教えられました。運動はすべて、知識、あるいは認知的なプロセスが組織化されて表現されてくる結果にすぎない、というふうに考えてよろしいでしょうか。

プッチーニ:

 運動というのは認知プロセスの結果です。目に見える運動、目に見える現象というのはニューロンの網の目に起こるプロセスの結果ですが、このニューロンの網の目というのはこれまでブラックボックスであると考えられていたわけです。その子がどういう運動をするかということによって、それを生み出すプロセス、脳のなかでどういうことを行っているのかということを知りうるし、少なくとも推定することができます。臨床では子どもの運動という目に見える現象を手がかりにそれを生み出すプロセスを推定し、知ることが重要ですから、この二日間の講義でも言いましたように、評価と実践とのつながりを理解することが非常に重要だし、大変だし、そのための議論が欠かせないのです。

宮本省三:

 認知運動療法について私はいつも思うんですけれども、こうして訓練をつくっていくその創造力に驚きます。

イセ・ブレギ:

 実践というのは常に理論と結びついています。そして私はプッチーニ先生と働いているのですが、いろいろな側面で理論的な援助を受けています。一つの現象に対して理論的な解釈をしてくれます。私たちは今リーチングや歩行というテーマを扱っていますが、そういった複雑な運動行動を改善していくためには、その前段階にあるいろいろな要素や問題について考えていかなければなりません。たとえばある子どもについての評価表を作る時、その子がどういう問題をもっているのかということを見つけ、理解することが目的となります。その子どもは動けないけれども、視覚をうまく使えるようにするにはどうしたらいいのか、手をうまく使うにはどうしたらいいのかといったことを考えるわけです。その子の問題の在り方が、たとえば発達の時期的な問題であるのか、情報が入ってこないという問題であるのか、あるいは情報は入ってきてもそれにうまく対応できない問題であるのかということを推定していくのです。一方で、訓練というのはコンタクト、触れるということと、スペース、その空間ということの二つを使うことが多いわけですが、子どもの興味を引くような人形や絵など、いろいろなものを使って、子どもにとって必要なものを認識しやすい環境をつくっていくのです。

プッチーニ:

 患者に対する治療を進めていくなかで、私たちはもう一つの仕事にも取り組んでいかなければなりません。それはテーマを深めていくということです。たとえば私たちは今、イセが言ったように歩行というものをテーマに研究しています。セラピストたちは、評価表を作る時にその内容を非常に深めていこうとするわけです。同時に私の方では基礎科学的な知見を彼女たちに与える。彼女たちはそれを基にさらに考えていく。時には一緒に観察したり、子どもがその結果どうなったかを一緒に確かめたりします。ですから観察がより深いものになるし、訓練も厚みのあるものになる。実際に確かめたことから得られた知見をまた理論にもちこんでいくということですから、常に理論と実践が回っているのです。私どもは週に二時間勉強会を開いていました。最近は忙しすぎてそれも難しくなってきましたが、そういった話し合い、共同研究は続けていきたいと思います。もう一つ、もっと日常的な治療活動の記録としてリハビリカルテというものがあります。これは二部に分かれていて、第一部は医師が書きます。医師が患者を観察し、評価してどこに問題点があるかということを書きます。第二部はセラピストが書きます。セラピストも患者を観察し、評価してどういった問題点があるのかを書きます。そして医師とセラピストが書いたものをつき合わせ、そこに一貫性をもたせるように議論し、それから治療を始めるという形をとります。先ほど宮本さんが知りたいとおっしゃった臨床の創造性についてですが、敢えて言うならばそれは私たちのこうした日常活動のなかで得られるものであると思います。私たちにはこれまでの経験から知ってきた基本的な方法論があり、最初にそれらを使って治療を開始するということはあります。でも実際には子どもは一人一人違うわけですから、その一人一人に合った運動療法があり、道具があるわけです。ですからそれに気づいた時点でどんどん修正をしていくわけです。たぶん、その修正のプロセスが創造的なのではないでしょうか。私は、セラピストどうしが意見を交換するということが、臨床を支える創造性の一番の基盤ではないかと思います。

森岡 周:

 二年半ほど前、ピサ病院を視察させていただいた時に、仰向けになって、右足を前に出したり左足を後にしたり、それを触覚で子どもに感じさせたり、あるいは運動覚で感じさせたりした後に、今度はそれらから子どもが得た知識と視覚とをマッチングさせる訓練をされていました。そうした訓練が結果として歩行という行為に与える意味について、セラピストどうしの共通の見通しというか、議論がなければとうてい進めていけない訓練だと思いました。

プッチーニ:

 観察して評価するということは一つの機能、複雑な機能をまたいくつもの機能、小さな簡単な機能に分けていく、そういう作業でもあると思います。これは機能を要素に分解する作業ではありません。また、評価では、どういった点での機能の評価であるのかというように、いろいろな場面、条件による違いが出てきます。いろいろな場面でどうであったかということから一つの機能のどの部分が遅れているのかということをはっきりさせるわけです。そしてその子の全体の統合性がとれない理由、その原因をつきとめるのです。そうすることで一人一人の子どものその機能のレベルがわかる、あるいは推定できます。たとえばこの機能に関してはこのレベルにいる子どもだと判断し、そこから目標として設定できる総合的な機能、そしてそのレベルに到達するための、それに先立つ機能、たとえばこれとこれとこれという三つの機能を訓練するという考え方をします。最終目標に対する小さな目標といいますか、それに先立つ部分での訓練が効果を現しているかどうかということを一つ一つ確認していくわけです。観察し、評価し、行い、その結果を見る、ということです。小さな改善が総合的な大きな改善に非常に貢献することがあります。ですから仰向けになって行っている治療も運動も、それは立って歩行するために役立つのです。

森岡 周:

 先生の講義では、そうした考え方のベースの一つにアノーキンの機能系理論があると説明されていました。最近ではアメリカのエスター・テーレンが子どもの発達をダイナミカルシステムとして表現しようとしていますね。

プッチーニ:

 リーチングのセオリーにはテーレンの理論を導入しています。テーレンは歩行の発達についても述べています。テーレンのシステムに関するコンセプトというのは、フランシスコ・ヴァレラのコンセプトとは違いますね。テーレンたちは、少なくとも私の知っている限りでは、機能というものをいくつかの部分に分け、分解してものを考えています。しかしそこで使われているモデルは私たちのものと違って、サイバネティックス的なものの考え方が強い。アノーキンもヴァレラも機能のことを述べていますが、彼らはもっと機能というものを開いた形で考えています。外部とのコンタクトにおいて自分の主体があって、相関関係を司る主体があるという観点です。そこには中心があり、外部と関わることによって、それがまた内部に戻ってくるというシステムであるからこそ、ウらに新しいものが生まれてくるという考え方です。そして、私たちがとっているアプローチの基盤には人間に対する深い信頼があります。つまり障害をもった人々を人間として信頼していく、彼らが自分でいろいろなものを生み出していけるその力を信頼しています。けっして私たちから離れて観察したり操作したりできる対象といったものの見方では彼らを見ないのです。

宮本省三:

 認知運動療法では理論と実践との対話ということの他に、治療者が大きな視野で人間との対話も保ちつつ進んでいるという気がします。日本の臨床家は自分の思いと日々の臨床業務とのはざまで大きなストレスを感じています。対話が生まれ循環していくまでには大きな努力が必要です。

プッチーニ:

 お話を聞いていて、日本でのリハビリテーション専門家の労働の姿に不幸を感じます。イタリアでも事情は同じようなところがあります。でも、状況がこのようなものだからこそ臨床家は改めて自覚しなければならないと思うのですが、臨床を進めていくうえでこうした対話、患者に対しても、自分たち臨床家の仲間に対しても、信頼を積み重ねていけるような対話を、自分たち自身の手で守っていかなければなりません。

宮本省三:

 子どもたちが世界との対話を通して成長していくように、臨床家も対話を続けていくべきですね。ありがとうございました。

(2000年4月3日 神戸、第一回認知運動療法研究会学術集会会場にて/通訳 ・松葉包宜)

パオラ・プッチーニ(ピサ病院、医師)
イセ・ブレギ(ピサ病院、医師)
宮本省三・森岡 周(高知医療学院、理学療法士)

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