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Ecco!No.4 臨床家の問いかける力、答える力は毎日の臨床が養ってくれる

編集:認知運動療法研究会
製作:協同医書出版社編集部
(2000年11月1日)

塚本芳久:

 昨年に引き続き、認知運動療法アドバンス・コースのために来日していただきありがとうございます。少しお話を伺えればと思います。

フランカ・パンテ:

 どうぞ。

塚本芳久:

 日本語版テキスト『認知運動療法』の中でペルフェッティ先生は、リハビリテーションの作業が「理論と実践、本と訓練室の間を行ったりきたりしながら、常に新しい問題点に戻って循環していく」とおっしゃっています。その言葉は非常に魅力的に聞こえるのですが、では実際にスキオ病院で先生方がどのように毎日の臨床を進めていらっしゃるのかについてはずっと伺いたいと思っていました。

フランカ・パンテ:

 私たちセラピストとペルフェッティ先生との関係についてというご質問だと思います。確かに私たちの間でのいろいろな情報のやりとりは非常にうまくいっていると思います。私は朝8時から午後4時まで、ずっと訓練室で患者さんと過ごします。そこにペルフェッティ先生が頻繁にやってきては私たちセラピストが臨床で何か問題や疑問に突き当たっているか、何か面白い観察をしていないかどうかについて日常的にやりとりをしています。私たちも患者さんの観察をもとに一定の課題をつくって実施した結果、その人から自分たちの予測とは違った返答が返ってきたような場合には、必ず彼にそれを話すのです。すると彼は自分の部屋に帰っていろいろな文献を探り、ひととおり理解した上でいくつかの論文を選び出して私たちに持ってくるわけです。「パンテさん、この文献にはあなたの疑問に答えられそうなことが書いてあるから読みなさい」って。そして翌朝になると「昨日の文献、読みましたか?」って言ってくるんですね。(笑い)。

塚本芳久:

 パンテ先生の今回の講義テーマには「リハビリテーションにおける認知理論と認知運動療法」「小脳の認知過程と認知運動療法」といったように神経生理学領域の基礎的なトピックと認知運動療法の臨床との関連づけをテーマにした演題が並んでいます。こうした高度なテーマ性も、今おっしゃったようなやりとりから整理されてくるのですね。

フランカ・パンテ:

 そうです。明日の講義で小脳の話をする時にバウアーという研究者の知見を紹介しようと思っています。これは講義で使うつもりのスライドの一部で、認知運動療法の訓練の組織化にあたって重要なテーマになる身体の細分化について示しています。「身体の細分化の目的は、患者さんが問題解決をしていくにあたって必要とされる情報を構築するために行われる」ということですね。患者さんは運動障害という形で私たちの目の前に現われるわけですが、運動障害というのは私たちが生きているこの世界、いわばその人にとって外界ときちんとした相互関係を組織化することができなくなっているわけで、そのストラテジーをもう一度学ぶことが訓練の目的となります。そして外界との的確な相互関係を結んでいく、いわば対話していくためには、その身体を細分化していかなければならないということです。

塚本芳久:

 身体の細分化と世界との対話の関係について、もう少し詳しくお話いただけますか。

フランカ・パンテ:

 たとえば、足首を骨折した場合、その状態のままでは世界ときちんとした対話ができなくなる理由として、足裏をきちんと細分化できなくなることがあります。床面との関係を構築する場合に非常に制限が起こってくるということです。まったく平らな地面であればある程度歩くことはできても、でこぼこであったり、上り坂、下り坂の場合、うまく歩けなくなるのはなぜでしょうか。それは足裏の表面をうまく細分化できなくなることによって、膝や股関節といった身体の他の部分と足とをうまく関連させて動かすことができなくなるからだと考えたのです。外界との接触の仕方を制限されてしまうと、動くためのエネルギー消費は非常に高くなるわりに、ある一定した条件のもとでないと歩けないということが起こってきます。ですからできる限り自分の身体表面を細分化できる方が、それだけいろいろな状況において最適な身体の統合が可能になるということです。

塚本芳久:

 細分化というのを繊細な感覚の受容と考えれば、身体各部との関連づけというのが、その外界に対する最適な身体の統合ということになるのでしょうか。

フランカ・パンテ:

 おっしゃる通りで、細分化と統合化とは別の事柄ではなくて互いに両立しなければならないことなのです。人間というシステムにとっては自分に必要な情報を集めるために、それに適した運動というものがあるのです。ただし、情報の受容表面というのは単に手なら手、足なら足ということではなく、もちろん身体全体を言うのです。

塚本芳久:

 視覚についてはどうなんでしょうか。認知運動療法では閉眼による訓練が重要視されています。そうした方法の裏づけとしても、やはり先生方が基礎科学と臨床観察をもとに議論されてきた根拠というものがあると思うのですが。

フランカ・パンテ:

 視覚についてはずいぶんと研究が進んできて、これは片麻痺で手の動きを回復した患者さんの例なんですが、回復はしたといってもあまり繊細な手の動きは獲得できていない人の脳を調べてみると、脳の中でも視覚が投射されている部分が非常に大きくなっているのが発見されています。後頭葉の視覚領野が非常に広くなっている。これを発表した人たちは体性感覚、つまり手を細かく動かして情報を得るための体性感覚が担えない部分を視覚が代償したことによって、視覚領野が広く発達したのではないかという仮説を立てています。体性感覚で今まで動かしていたところを視覚で代償したことによって、手を動かせるようにはなったけれども繊細な動きはできないままであるということです。これは実際に片麻痺の患者さんを観察した結果なのですが、その他の研究、たとえばリーチングの場合でも目の制御を積極的に使っていくとやはり視覚の部分が活性化されてきて、逆に体性感覚が抑制されてくるという知見が発表されています。私たちの病院にも片麻痺の患者さんが大勢やってきますが、こういうことがあるので私たちの訓練は閉眼で行うという方法を多く使っています。目を開けて訓練をしてもらうと目の制御の方がどうしても簡単なので体性感覚がなおざりになってしまいますが、運動障害の回復を図るためには体性感覚をもっと働かせていかなければならないわけですから、閉眼という方法をとることになるのです。

塚本芳久:

 体性感覚から得た情報を視覚イメージに変換するという訓練もありますね。

フランカ・パンテ:

 体性感覚で得た情報をもとにつくりあげた身体座標と視覚的な情報をもとにつくりあげた身体座標とのマッチング、つまり情報の変換という課題は閉眼による訓練の次に段階づけたものです。運動企画が行われるA5野は、ある運動のために身体のどのエレメントをどのように動かすかを決定していると言われていますが、そこで実際に動いた身体の情報と企画した運動との照合が行われるのです。人間の運動には非常に変容性があり、たとえばリーチングの例をとってみても、こういう軌道でもああいう軌道でもいいというようにいろいろなやり方があるのです。一見、同じような動きを繰り返しているように見えても、実際に運動のシステムの中のさまざまな身体的エレメントの関係はそのつどまったく同じということはないのです。そういった事柄は今、基礎科学の中で解明されつつあります。たとえば片麻痺の患者さんの場合、そうした身体のエレメントの統合がうまくコーディネートできなくなっています。健常者のリーチングの場合、今そこに手が向かっているということを視覚的に確認することは単純な話かもしれませんが、そうした身体的エレメントの統合ができなくなっている患者さんの場合には、視覚による運動軌道についての情報の照合以前の問題として、身体各部のエレメントがどのように動いているのかということを認識できなければならないし、そのための訓練方法がなければならないのです。閉眼による訓練の根拠もそこにあるのです。

塚本芳久:

 空間ということでは、ペルフェッティ先生は本の中でそれを「空間モザイク」と表現していますね。

フランカ・パンテ:

 パイヤールを引用してそう言っていますね。人間には視覚や体性感覚からつくられる空間だけではなく、聴覚や運動感覚からつくられる空間もある、普通、人間はそういったものを全部まとめてグローバルな意味での空間という感覚を自分の中につくりあげているのです。ですから空間はある意味で創発特性であると言えます。たとえば視覚空間と体性感覚空間が足されて、いわば1+1が2になるのではなくて、身体と外界との間でいろいろなものが創発されていくことを、私たちは空間として認識していると言えるのです。

塚本芳久:

 そういった議論が臨床の中で続けられていることが驚きです。基礎科学の導入ということで言えば、たとえばペルフェッティ先生のような方のいない、私たちのような日本の施設の人間にとっては、どうやって勉強を続けていけばいいのか、不安になる時があります。

フランカ・パンテ:

 私たちも、もし彼がいなくなったらという心配はありますが、彼はこのような日常的なやり方を通してリハビリテーションの臨床をどのように進めていけばよいのかという一つのモデルを示してくれているのだと思います。ですから私たちはそのモデルを通して学ぶことで、彼のいないところでも臨床と勉強を十分に続けていけると思います。それに私たちセラピストが訓練室での観察の中から刺激的な質問や疑問を出していかなければ、彼も自分の研究が進まないわけですから。お互いの刺激のおかげで基礎研究と臨床観察、そして訓練とがうまく噛みあって進んでいくのだと思います。インターネットのおかげもあって基礎文献はそれこそ膨大な数が手に入るわけですし、私たちも『ブレイン』や『ニューロサイエンス』といった神経生理学系の雑誌については目次やアブストラクトに目を通しておく習慣はつけてはいるのです。ただその時にも、運動や感覚の組織化について述べながらそれらと認知過程とを関連させて考察しているかどうか、あるいは運動を学習過程として捉える視点、身体全体を情報の受容表面と捉える視点をもった論文かどうかといったことが、論文を選ぶ基準になります。つまり、テーマをもって基礎研究を読むということです。臨床をしている限り、セラピストには常に疑問が生じるわけですから、それをいくつかのキーワードにして、それを手がかりにしていけばかなりポイントを絞った基礎的な知見の選択ができるのではないかと思います。哲学者のポパーが言うように、最初に問題を提起すること、問題をまず認識して、どの問題に対する答えを探すのかということを常に考えることが大事です。…むしろそれよりももっと難しいのは、たとえそうして探していた文献に巡り合ったとしても、神経生理学として書いてあることがそのままダイレクトにリハビリテーションの実践に翻訳可能ではないということです。ヒントにはなるのですが。ですからどんなフィルター、解釈を通してそれを取り入れてくるかというところですね。臨床という意味では、私たちの探しているものは基礎文献や本には書いていないものなのですから。自分たちの直感や嗅覚が必要です。でもそれこそ訓練室での毎日の臨床が養ってくれるものではないでしょうか。

塚本芳久:

 ありがとうございました。

(2000年10月7日 高知医療学院にて/通訳・小池美納)

フランカ・パンテ(イタリア第6州立スキオ病院/リハビリテーション・セラピスト)
塚本芳久(川崎医科大学・川崎医療福祉大学、医師)

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