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Ecco!No.7 リハビリテーションに奇蹟はない.しかし,進歩はある パオラ・プッチーニ女史にきく

編集:認知運動療法研究会
製作:協同医書出版社編集部
(2006年5月26日)

沖田一彦:

 ここ広島大学廣仁会館を会場にして第1回目の小児アドバンスコースをようやく開催することができました.3日間にわたる講義でたいへんお疲れのところ,インタビューをお受けいただきありがとうございます.私たちが神戸の国際会議場で第1回目の学術集会を開き,同時にそこで「日本認知運動療法研究会」を立ち上げたのは2000年の4月1日でした.あの時のことが私たちの記憶の中に今もなお印象深く留まっているのは,それが私たちの研究会が歩み始めた時であるとともに,プッチーニ先生とイゼ・ブレギ先生をお迎えして子どもに対する認知運動療法の理論体系と臨床の姿に初めて本格的に触れることのできた時でもあるからです.第1回学術集会のテーマ・イメージとして私たちはプッチーニ先生の言葉を標榜しました.「リハビリテーションに奇蹟はない.しかし,進歩はある」というものです.先生をはじめとするイタリアの人々がその言葉の通りの研究と実践を誠実に続けてこられたことを,今回の3日間のコースを通してひしひしと感じることができました.あれから6年と少しの時間が経ち,この日本でも少しずつではありますが自分たちの研究や実践の結果について発表できるようになってまいりました.プッチーニ先生の言葉は今もなお私たちを支えてくれているのです.

パオラ・プッチーニ:

 講義が続いたのでからだは疲れていますが,それ以上に日本の皆さんが真剣に私の講義を受け止めて下さいましたことを非常にうれしく思っています.講義を聴くだけでなく,日本の皆さんからもご自分の臨床報告をしていただきました.その内容には私も満足を感じることができました.

沖田一彦:

 今日の最後のプログラムで4人の会員から症例報告をしてもらいました(共同注意獲得過程からみた重障児・乳幼児への介入可能性〈浅野大喜〉,「身体内感」を育てる−年少・重症児の症例から−〈人見眞理〉,書字能力獲得に向けた認知課題の適応と身体感覚の共有・内言語の表出について〈石附智奈美〉,電動車椅子操作における情報収集器官としての手の役割〈伊藤信寿〉).それを聴いていて改めて感じましたことは,それぞれの人が認知運動療法に立脚しながらも,「発達」というものをどのように捉えるかという点ではそれぞれに違いが見えていたことでした.

パオラ・プッチーニ:

 4つの症例報告のうち,もう学齢期に入っている子どもについてのものは,その観察から訓練の提示の仕方に至る推論の内容,そして実際にどういった作業をしたのかというその内容も的を射たものだと思いました.また非常に若い方が発達を理論的な面から研究し,いろいろな文献を読みながら臨床家としての自分の文化的な基礎を築こうとしている真剣な態度に感心させられた発表もありました.今後,理論をどのようにして現場に応用していくかという方向でいっそう経験を重ねていただければ,きっといい臨床を展開していけると思いました.

沖田一彦:

 神経科学,認知科学,現象学といった理論を研究しつつ,それを治療の基本方針を立てる根拠にしていく,つまり現場に応用していくということにはマニュアル化されたものがないですから,認知運動療法を実践していくことに経験を有効に重ねていくというのは簡単なことではないですね.今回の先生の講義のテーマとなっている「認知,行為,言語」が今後の脳科学においても「発達」を捉えるうえでの基本的な軸になるということは間違いないと思います.しかし,それを臨床に応用していくということは本当に簡単なことではない….

パオラ・プッチーニ:

 そうです,簡単なことではないですね.でも今日,症例を報告された方々を見ていると,皆さん,なかなかいい仕事をされていると思いますよ.ですから時間はかかることだし,簡単なことではないのですが,努力を続けていく限りは私たちの得るものは大きいということなのです.

宮本省三:

 今回のコース構成として特別講演「予測と模倣−コミュニケーション基盤機能の解明−〈乾 敏郎〉」でまず模倣という観点から発達をめぐる基礎科学のトピックをレビューし,シンポジウム「発達障害に治療介入することの意味−身体意識形成の視点から−〈河本英夫,中里瑠美子,小川奈々,池田由美,沖田一彦〉」では現象学というツールを使って私たち治療者が学び,行為しうることをめぐって,哲学者を司会に実際に障害をもった女性の身体意識の記述を聴いていきました.そうした学術的な企画に加え,私たちは「認知の樹プロジェクト」というプログラムを一コマ,コースの中に挟みました.これはリハビリテーション治療の背景に人間の思考や社会文化的な要因が大きく横たわっているということを意識し,それに自分たちも積極的に関わりをもち,発言していくのだという思いから始めたプロジェクトなのですが,今回は「成瀬−小池論争」という30年以上前に小児のリハビリテーションで起こった論争,子どもやセラピストの詩などをとりあげ,その結びとして,さきほど沖田さんが触れたような気持ちを込めてプッチーニ先生の「リハビリテーションに奇蹟はない.しかし,進歩はある」という言葉を置きました.私たちの問題意識としては,障害をもった子どもに対して治療者が向き合った一つの事件が時間の中で風化していくことに抗いたいということがあるのです.すべてのリハビリテーション専門家に対して無力な風化ではなく,真剣に経験を積むという意味での「進歩」という言葉をぶつけたかったのです.

パオラ・プッチーニ:

 ええ.

宮本省三:

 リハビリテーションにおける進歩の姿ということで,3日間のコースを聴いていました印象は,小児の認知運動療法が子どもとセラピストとの,単に言葉のやりとりということではないしぐさやまなざし,意図の推測や行為を通しての確認といった深い意味での対話を通じた相互作用という形で展開していること,それが子どもに限らず大人の臨床の中でも同様の方向に進んでいることを確認することができました.ピアジェにみられるような生物科学的なモデルとヴィゴツキーにみられるような社会文化的なモデルをミックスしたブルーナーの相互作用モデルを主軸として展開される認知運動療法の治療モデルというものが,もう完成の域に達したのではないかという強い印象を持ちました.もちろん細かなことは今後も研究が必要なのですが,人間に対する治療ということで考え得る方法としては本質的な核心に向き合っている状態ではないかと思いました.

パオラ・プッチーニ:

 そうですね.こうして私たちがつくってきた発達モデル,あるいは損傷回復のモデルは,現在の時点では子どもの組織過程がどのようにしてできてくるのかについて,そうしたものを理解するツールとしてある程度有効なものが提起できているのではないかと,自分たちでは自認しています.ただこれからもたくさん勉強していかなければならない点があります.特に子どもの言語の獲得についての理解はもっと深めていかなければなりません.子どもが最初に使う言葉の意味については,最近少しずつ研究が発表されているのですがあまり成果は出ていません.子どもが最初に発する言葉は,大人がその言葉に帰属させている意味とはたして同じなのかということはまだわかっていないのです.ですからこれからの私たちの研究は,そうした言語の獲得に集中させていく必要があるだろうと議論しています.言語獲得の仕組みを理解していくということは,今大人の臨床で進めているようなメタファーの研究を,子どもについても進めていくにあたって非常に重要なことになりますからね.

宮本省三:

 神経科学的な知見を中心とした仮説をつくりながら,観察の仕方を変え,訓練の仕方を変えながら循環していく学術的な流れについては理解しております.ひとつお聞きしたいことは,これは症例にもよるということは承知していますが,子どもなり大人なりに認知運動療法を行った場合,その期間以外では日常生活動作訓練やその他,いろいろと代償的な動作訓練が自由にやられてしまうという状況が現実にはあります.それに対して認知運動療法を行う臨床家が,ある種,そうした現実と戦わなくてはならないという状況があります.これはイタリアにおいても同様のことがあるのではないかという気がしているのです.

パオラ・プッチーニ:

 それは特に,子どもの場合は大きな問題になりますね.それは治療者と子ども以外に,親という大きな存在が入ってくるからです.ただ,認知運動療法では最近になって意識的経験というものを大きく取り入れるようになってきましたが,このことによって子どもと親との関係も少し変わってきたように思います.子どもに対してその回復モデルを考える際に,親が何を考えているのか,あるいは親や子ども本人がどういうことができると期待しているのかといったことを排除してはモデルとして成り立たないと思います.セラピスト側では子どもの回復の可能性について説明し,親や子ども本人は自分のニーズを話して,その中から合意できる共有部分を見つけていくことは重要だと思います.たとえば,子どもが少し大きくなってくるとこんなスポーツがしたいと言ってくるようになり,セラピストからみればそんなことをするとその子にはよくないと判断するような場合には,そのスポーツの動作というものがどういう行為から成っているかを分析し,そういう行為ができるようになるためにはこういう訓練をする必要があるというように,その子や親が自分の訓練に対して将来像がもてるような説明をするようにしています.

宮本省三:

 私はイタリアで子どもの行為形成不全(disprassia)に対する治療の先生の講習を受けたのですが,そうした子どもに対してもおっしゃったような行為の分析に基づいたアドバイスをされることはあるのでしょうか.

パオラ・プッチーニ:

 そうですね.むしろ,行為形成不全の子どもの場合,そこに的確な治療方針や具体的な訓練の方法さえ見つかれば結果は早く出るのです.そういう意味では失行症の場合のほうが考え方はよりダイレクトでシンプルとも言えると思います.

宮本省三:

 行為の形成に関わる認知過程のメカニズムが明らかになり,治療方針とその結果とが非常に明確に見える部分については,それを病院に限らず地域や在宅の現場で提言することで認知運動療法のすそ野を広げられる可能性があるのではないかと思います.

パオラ・プッチーニ:

 それはそうですね.ただ,その場合に大事なこととして確認しておかなければならないことがあります.私たちが失行症を研究することで深められたものは運動の背後にある認知過程に対する理解です.つまり失行症を研究することで四肢麻痺であるとか片麻痺の子どもたちの認知過程がどうなっているかという理解が深まったということです.ですから私たちが失行症の子どもたちに提言している訓練と四肢麻痺の子どもたちに提言している訓練とは基本的に同じものです.失行症の子どもたちにも第一段階の訓練を提言しますし,そのように多くの場合,それは彼らの運動の企画という部分に重きを置いた訓練であるわけです.ですから失行症の子どもだからということで運動の企画という部分を飛ばしていきなりその子のある特定の機能を活性化させようというような単純なことではないのです.そういう意味で,今日の症例報告にありましたように,脳性麻痺の両麻痺の子どもに対して基本的な訓練を適用することで描画や書字の能力を高めたというやり方もそうした意味で基本的であり,良い例であったと思います.

沖田一彦:

 実は,私もその点について考えていたことがあるんです.昨年11月にブレギ先生を東京にお招きして開催した小児ベーシックコースでも報告したのですが,両麻痺の子どもの上肢の協調運動の障害を観察していて,それが大人の失行症の病態と極めて類似していることに気づいたのです.両麻痺ですから,上肢にはそれほど重篤な問題はないと考えがちですが,そうではなかった.子どもの場合はまだ行為が獲得されていないので失行症とは呼ばず行為形成不全と呼ぶべきなのでしょうが,その障害は,イタリアでペルフェッティ先生たちが指摘している失行症の特異的病理,すなわち視覚,体性感覚,言語などの統合障害に起因していると解釈せざるを得ない観察結果だったのですね.ですから,私は宮本さんがイタリアで受けたという子どもの行為形成不全に関する講習の内容について知らなかったのですが,今のお話を聞いてすごく驚きました.

宮本省三:

 日本の場合,認知運動療法を受けていない人に比べれば,受けている人はごくごくわずかです.ですからもちろん慎重であることは鉄則であるのですが,実際の認知運動療法の臨床から見えてきた訓練の方法を病院や通所施設以外の在宅まで含めた広い範囲に有益なアドバイスとして提供していくことができればと考えるところがあります.

パオラ・プッチーニ:

 認知運動療法が従来の治療と異なるところとして,画一的な方法を多くの人に一律に実施するということではなく,一人ひとりに合った治療を行うということがあります.ですから広い範囲にアドバイスを行っても,そのアドバイスをその個々の状況にふさわしい形で実施してくれる理解がなければ私たちの目的は果たせないということも出てきますね.認知運動療法を普及したいというその考え方に間違いはないのですが,たとえば歩行訓練では装具を付けるけれども手は認知運動療法でやりましょうというような臨床家が出てくることのないように進めていくべきです.

宮本省三:

 おっしゃる通りです.最後になりますが,日本の現状では古典的な方法,神経運動学的なもの,感覚統合的なアプローチとか,あるいは日本独自のものといったようなさまざまな考え方と方法がカオス状態で併存しています.子どもたちはそうしたものの一つ,あるいは複数を同時に受けたりしているのが現状です.

パオラ・プッチーニ:

 イタリアでもまったく同じ状況です.

宮本省三:

 そうしたことが土壌にあるために認知運動療法の提言が断片的に切り取られてそうしたカオスの中で他のものと混じって使われるという危険をはらんでいます.でも,それは子どもや母親の問題ではありません.それは僕ら自身の問題,つまりセラピストの思考上の危険性なのです.この危険性を回避するためには,子どものリハビリテーションに携わるセラピストが自らの思考の核にどのような「問い」を立てているかという点への自覚が不可欠です.どのような子どもであっても,たとえ病態や症状,家庭環境,治療アプローチなどが違っていても,セラピストとして絶対に揺るがない思考の核を有している必要があります.そして,それは「子どもが世界を学習し操作する莫大な能力をもたらすものは,いったい何なのか」という問いです.僕は,今回の先生の講義を聞きながら,コースに参加したセラピストの思考の核に,この種が植え付けられているように感じました.現状は厳しく臨床は不透明ですが,近い将来,小さくても美しい花を咲かせたいと思います.日本の若いセラピストに期待して下さい.彼らは真剣に先生の講義を聞いていました.そして,5年前の初来日の時とは異なり内容を理解していました.未来は明るいと思います.彼らは現状のカオスと闘い始めるでしょう.ありがとうございました.

沖田一彦:

 先生の講義の中で「子どもの世界には大人の世界とは異なった独自の特徴がある」という指摘が繰り返し出てきました.これは,小児科学や発達学の分野でも言われてきたことですが,今回のコースを通じてその本当の意味がわかってきた気がします.子どものことがわからないと大人のことはわからない.その意味で,今回のコースに小児・成人の区分を越えて参加を呼びかけたことは本当によかったと思っています.先生は明日,また広島大学医学部での講義もありますので,本日はゆっくりお休み下さい.今回の来日,本当にありがとうございました.

(2006年4月 広島大学廣仁会館,第1回認知運動療法小児アドバンスコース会場にて/
通訳 小池美納)

パオラ・プッチーニ(イタリア,ピサ・カランブローネ病院)
沖田一彦(県立広島大学)
宮本省三(高知医療学院)

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