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EssayNo.2  ある日の新聞記事「筋トレしても母は転倒した」から

高橋昭彦 (理事)

 先日、朝日新聞の読者の「声」欄に掲載された一文に目にとまった。「筋トレしても母は転倒した」と題されたその声には、要介護1と認定された81歳の母親が、定期的な訪問リハビリを受けていたにも関わらず、再々の転倒を繰り返し、大腿骨骨折のために入院に至った経緯が書かれていた。文面から、この母親は、懸命にリハビリに取り組んでいたらしい。また積極的に活動するように心掛けてもいたらしい。転倒は、段差につまずいたわけでもなく、不整地に足をとられたわけでもなく、滑りやすい雨の屋外で発生したわけでもない。転倒はバリアフリー化された普段生活している家の中で発生した。この母親の訪問リハビリを担当していたセラピストはMenuとしてなぜ筋トレを選択したのだろうか?

 介護保険制度は、2000年(平成12年)4月の施行当初より、5年後をめどにした制度改正が盛り込まれていた。今年はその改正年にあたり、介護保険制度に関する論議も再び活発化している。今改正案の柱の一つに、介護予防の強化がある。厚生労働省は「重度化を招くひとつの要因として、家事代行サービス(生活支援)の利用で高齢者が体を動かす機会が減っている」として、要支援・要介護1の認定を受けた人への家事援助を中心としたこれまでの生活支援給付サービスから、筋力トレーニングや栄養管理などを主体とする介護予防給付サービスへ転換していく方針を推し進めている。介護保険制度は、高齢者介護が社会問題化してきた時代に、必要に迫られ急ピッチで素案がまとめられ施行された経緯を持つ。現在では当初の混乱期を乗り越えた感があり、国民からの評価も年々高まり、それは利用者拡大の数字として表れている。サービス利用者は年々増加の一途をたどり、介護保険法施行当初の2倍以上である400万人に達した。介護保険制度の趣旨からも利用者拡大は評価されるべきことであるが、右肩上がりに膨大していく財政を圧縮したい厚労省の意向が今回の改正案の背景に見え隠れし、危機感から生まれた改革案という側面は否めない。

 私自身、医療に携わる者として今回の改革が前向きに行なわれ、少しでも利用者にとって良い制度改正となる事を望んでいる。しかし、なかば強引とも受け取られる今回の改革には、いくらかの疑問を感じざるを得ない。先日、厚労省は、全国69市町村でモデル事業を行い、うち回答のあった48自治体の集計結果を報告した。その結果、筋トレマシンを使ったトレーニング後に10mの歩行速度が向上したのは72.8%、変化なし6.5%、悪化20.8%であった。日常生活の改善能力をあらわす「日常役割機能(身体)」の項目では、42.7%が改善し、26.9%が現状を維持したものの、悪化は実に30.4%に上った。厚労省はそれでも「統計的に有意な効果があった」と、やや苦しい評価を与えているが、野党からは「筋力トレーニングによって体を壊した責任を国が取れるのか」と国会で指摘される状況に至っている。このモデル事業に参加した高齢者の13%が入院などの処置が必要となり、中断を余儀なくされたという事実もあり、筋力トレーニングの効果について疑問視する指摘は少なくない。20%や30%の人が悪化するというトレーニングを、保険とはいえ公費で賄うようなことが果たしてまかり通っていくのだろうか?2月2日の毎日新聞には要支援・要介護1の認定を受けた高齢者の4割がこの介護予防プログラムに対して消極的であると掲載されている。このような状況において苦渋しながらも、改革を推し進めようとしている厚労省の真の意図は果たしてどこにあるのだろうか?

 一言に「筋力」と言っても、大きく張力(force)・協調力(co-ordination)・持久力(endurance)の3つの側面があり、目的が異なればその負荷量や頻度などトレーニング方法も異なることなど、セラピストであれば誰でも知っている。また高齢者は、筋線維肥大による張力向上を目的としたトレーニング効果は期待されにくい半面、神経系の改善は期待できることなど、高齢者のトレーニング特異性も知っている。筋力への介入を日常的業務として行っている我々セラピストは、もっと真正面からこの問題に向き合わなければならない。本来、筋力トレーニングは介護予防に有効であることを前提として創設されたサービスであるが、その効果を検証する指標として「トレーニング前後の10m歩行速度を比較することに果たしてどのような意味があるのか」と問われた時、セラピストはどんな答えを持っているのだろうか。また別の問題として、これまでセラピストは、福祉分野への職域拡大と信じて公的介護保険にも積極的に参加してきた。今回の改正に対しては、あまり関心がないのか、学会で活発に議論されることもなく、その行く末についてまるで高みの見物をしているようにも映る。日経新聞の1月22日の記事には東京都は高齢者に筋トレを指導する「介護予防運動指導員」とその指導者として「介護予防主任運動指導員」を創設したとある。また茨城県では「シルバーリハビリ体操指導士」の育成も始められようとしている。職域拡大どころか、職域縮小も危惧される。

 私は現職の理学療法士養成校の教員になるまでの13年間、臨床の現場にいた。その病院では人工関節置換術や骨切り術を必要とする患者さんが大勢入院していた。そのなかには転倒によって、挿入されていた人工関節のゆるみや脱臼の整復のために再入院してきた患者さんも含まれていた。以前担当した患者さんの顔を見ることは嬉しいことだが、それは「元気でやってます」という笑顔での再会場面に限られる。「先生、転んじゃいました」と申し訳なさそうに、情けなさそうに、今にも泣き出しそうな表情の患者さんの顔を見ることは担当セラピストとして辛い。その患者さんたちに転倒した状況を尋ねてみると、「棚にある物をとろうとしていた」、「トイレに行こうとしていた」や「洗濯物を干していた」など、大半はごくごく日常的な場面で事故が発生していた。さらに話をすすめていくと、普段は問題なく出来ている動作なのに、その事故が起きた時は「考え事をしていたから」や「洗濯バサミのほうに気がいっていた」など、ほぼ間違えなく注意の問題に直面する。このような経験から、私は注意が姿勢制御能力に及ぼす影響について調査してみた。詳細な方法論については別誌に譲るが、高齢健常者では「出来るだけ揺れないように」と指示を与えて立たせた時とその状態に視覚的な注意要求課題を加えた時との重心動揺の変化は僅かであった。しかし、下肢整形外科疾患では同時に二重の課題を与えた時の立位では大きな重心動揺の増大が認められた。

 転倒させない運動療法とは、どうあるべきか・・・まだその問いかけに答えは出ていない。しかし、少なくとも単に筋力を鍛えることによって解決するような問題ではないことは明白である。新聞の81歳の母親も、ベッドサイドで泣き出しそうな表情で転倒の状況を語ってくれた患者さんたちも、懸命にリハビリに取り組むことによってこの問題を我々セラピストに問いかけ続けている。

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