認知神経リハビリテーション学会

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EssayNo.3  いい笑顔(a beautiful smile)

千鳥司浩 (理事)

 僕は野球という球技は子供のころから好きではないし、現在でもまったく興味がない。しかしシアトル・マリナーズで大活躍をしているイチロー選手は大好きである。イチローの実家は僕の住んでいるところから30分ぐらいの場所にあり、仕事で週一回はその町に行き、彼の家の横を通ることがある。そのとき幼少期にどういう過ごし方をすればああいった名選手が作られるのかな?と考えることがしばしばある。しかしイチローのことが好きなのは近くに住んでいる大リーガーの選手だからといった理由ではない。僕が好きなのは彼の超のつく程の身体感覚とそれを表現した論理的な語りである。

イチロー選手 彼のインタビューからはいつも何か学ばされることがあり、私にとってハッとさせられる瞬間がある。例えばイチローが新聞で「絶好調」と書かれた際、それに対するコメントとして「ヒットになるはずのない球がヒットになっていた」つまり自分の中でヒットになる理由がないのにヒットになっていたことは「不調である」と語っている。また彼は「必然」という言葉を良く使う。その背景には意図して行う行為には当然、必然性が生じるということを言いたいのだと思う。この言葉からも彼の身体(道具使用)におけるコントロールは意図と結果が一致しており、自由自在に身体を操ることができる、あるいはそうしようとしていることが伺える。まさにイチローは我々が外側からでしか知らないものを、感覚的に、また経験的に、自分の体の中に知っている。このように自由に身体を操ることができるからこそ、その意識経験を言語化することができ、さらに身体感覚が鋭くなっていくと思う。

 マイネルは運動の自己観察について自分の運動に意識を向けて吟味し、思うように修正するために不可欠な条件であり、また自己観察において、運動の自己知覚は運動感覚意識が言語によって捕らえることが出来たときに成立する。特に、運動感覚意識で感じたことを言語という概念で示す行為そのものによって運動内容を一層鮮明に理解することができ、自らの動きを意識的によい動きへと修正することが可能になると述べている。このことからも身体感覚と言語は不可分の関係であると言える。

 では我々が日常で診ている患者さんたちは意図と結果(運動とその結果)が一致した身体制御が行えているのでしょうか?自分の身体の変化を敏感に感じ取り、行動を適切なものに修正させていくことができているでしょうか?患者さんたちに身体の操作性(制御)について聞くと、注意深い観察を行わずに「しっかり行えている」と感じていたり、健側の運動イメージは想起できても患側では想起しにくく、制御における感覚を表現できない患者さんは多いと思う。同じ土俵でイチローと比較するのはどうかと思うが、同じく運動を学習するものとして考えると中枢疾患のみならず整形外科の患者さんたちの身体感覚は非常に希薄になっているように思える。意図と結果を一致させるためにはもっと身体にフィードバックされる情報(感覚)に注意を向けることが必要であると思う。

イチロー選手 最近、ACL再建術後の若年者の患者さんを何人かセラピーする機会があった。当院のクリニカルパスに従って今まで通り術側下肢に対し、しっかり筋力トレーニングさせていた。しかし気持ちの上では一生懸命に力を出そうとしているが、下肢の筋肉を触診すると健側に比べ十分に活動していなかった。そこで筋出力時に自分の身体について感じることをいくつか質問したが、なかなか答えることができなかったため、健側の運動イメージを術側へ転移させる作業を行った。

 筋収縮時の感覚を何かに例えてもらおうとしたが、一人称記述を引き出すことは困難であったため事物の状態を表す「擬態語」で表現してもらうと、比較的容易に引き出すことができ、様々なクオリアを聴取することができた。擬態語が満載されている漫画をよく読んでいた世代の僕たちにとって擬態語は生起した感覚を表現しやすいものかも知れない。開始当初は表現方法に苦渋していた患者さんも介入後は能動的に身体を探索する様子が見られ、それぞれの症例において健側が術側の運動イメージに近づき筋出力の向上が見られた。本人たちもその変化を自覚しており、小さな身体の変化にも敏感となり、自分で筋収縮を制御する方法を考えるようになった。その後は徐々に自己身体に関する記述が自然と増え、実に生き生きとした言葉で語るようになり、この介入は患者さんたちが自分の身体と向き合う良いきっかけにはなったと思った。

 そして左右の脚のイメージが一致し、違和感がなくなったとき、みんな患者さんたちはとてもすがすがしい、自信に満ち溢れた笑顔になっていたことに気づいた。
この笑顔を例えるなら子供が自転車に乗れるようになった!分からなかった何かが分かった!時の笑顔と同じものではないかと思った。僕は自然に湧き出てくるこんな笑顔は素敵なものであると感じた。今後もこの種の笑顔を楽しみに、日常のセラピーを続けていきたいと患者さんたちの笑顔を見ながらそんな思いを抱いた。

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