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EssayNo.5  あなたにとってとても大切な人と

荻野 敏(理事)

 天才を広辞苑で引いてみると「天性の才能。生まれつき備わったすぐれた才能。また、そういう才能をもっている人」(広辞苑第5版、岩波書店、1998)と書かれている。しかし、斉藤孝は「天才の読み方」(大和書房、2003)の中で、天才を『才能があるから何の苦労もせず大きなことをなしとげた人、あるいは突発的に何かを思いつく「変人」というイメージから解放して、様々な工夫をやりとげた「上達の達人」』と定義し直している。一見突拍子もないようだが、その実、とても深い思案にかられているという印象。まさにそれは2005年3月に開催されたアドバンスコースでの荒川修作先生の講義であった。不思議な講義だった。正直、すべてが理解できたわけではない。私の理解は荒川先生の思考の表面をかいま見ただけかもしれないし、それが見当違いなのかもしれない。ただ、アドバンスコースの聴講後に岐阜の養老天命反転地に訪れた時、荒川先生の思考の一部に入り込めた様な気がした。でも、その時の衝撃的体験を語る前に、先日の中日新聞に掲載されていたある記事を紹介したい。

 中日新聞の文化部記者が「ぶんか」を模索するという「ぶんぶん記者修行」のという記事だった。さまざまな文化を体当たりで経験するという記事らしく、今回の記事(中日新聞朝刊、2005年12月1日号)は「暗闇体験」という見だしが書かれてあった。「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(真っ暗の中の対話)というイベントの体験記である。全く光の入らない室内を歩き、視覚以外の感覚を再生する目的だと記載されている。参加者は白いつえを渡され、7人一組で暗闇のコースを歩く。案内役は視覚障害者の方だそうだ。その記事を少し抜粋してみる。

 『人生初の真の暗闇。試しに顔の前で手を振ってみた。風を感じるだけで、自分手すら見えない。近くでカップルが話す。「前にいるよ」「前ってどこ」「こっち」「こっちって、どこ・・・」。前後左右の感覚はすぐ失われた。自分の体が見えないから、どこまでが自分なのか、さえ分からなくなる。公園でブランコに乗ると、参加者全員が「宇宙遊泳みたい!」と驚いた。上下の感覚すらあいまいになってきた。すると次第に「四感」が活発に動き出す。森の小道では葉っぱの香りが鼻に飛び込み、駅のホームで踏みしめた点字ブロックは、実際の大きさの2倍に感じた。ほかの参加者の動きも声で分かるようになってきた。』

養老天命反転地 この記事を読んでいるうちに、養老天命反転地の衝撃的体験を思い出したのだ。アドバンスコースを聴講してすぐに妻と二人で養老天命反転地を訪れた。たまたま娘が妻の実家に遊びに行っていたので、思いもかけず久しぶりのデートとなった。名神高速道路の関ヶ原インターチェンジを降りて、30分ほど車で走ると養老公園に到着する。のどかな田園地帯と雄大な山々を見ながらのドライブは思いのほか心地よかった。養老公園は岐阜県にある名瀑養老の滝を中心とした憩いの場であり、その中に養老天命反転地はある。パンフレットには養老天命反転地の使用方法なるものが書かれている。例えば「楕円形のフィールド」には、『バランスを失うことを恐れるより、むしろ(感覚を作り直すつもりで)楽しむこと。』『楕円形のフィールドを歩く時、「極限で似るものの家」の光景をできるだけ思い出すこと。そしてその逆も試すこと。』など、多くの使用方法が書かれている。ただ、これだけでは正直意味が分からない。とりあえず、パンフレットを片手に妻と養老天命反転地の中を歩き回る。

 周りには春の休日ということもあってか、多くのカップルがパビリオンを歩いている。その時、ふと不思議な感覚が芽生えた。妙にカップルの、つまり男女の距離が近いのである。町中でも多くのカップルを見かけるが、どちらかといえば日本の男性は気恥ずかしさがあるのかあまりべたべたくっついていないことが多いという印象をもっていた。しかし、養老天命反転地ではみんなくっついているし、そのほとんどは手をつないでいる。私のすぐ横で若い女性が「きゃー」とかわいい悲鳴を上げながら坂道を下っていく。下では彼氏らしい男性が待ちかまえており、滑るように走ってきた女性をしっかりと掴まえていた。パビリオン内にある不自然なほどの段差や坂道を歩く時、ほとんどそのような光景が当たり前のように展開されている。不思議な施設だなと感じた。環境によって人間関係やその距離感までも変えてしまうことができるのだと。しかし、私にとっての衝撃的体験は「切り閉じの間」というパビリオンで起こった。

 その空間は真っ暗で、中にはいると全く何も見えなくなる。壁の間はひどく狭く、ひと一人がやっと通れるくらいである。「切り閉じの間」の使用方法には『夢遊病者のように両腕を前へ突き出し、ゆっくりと歩くこと』とある。目を閉じようと開けようと真っ暗なので視覚は役に立たない。妻と暗闇の中ではぐれたら一大事である。自然と手が触れ合い、声をかけ合う。今度は、前方からカップルの会話が聞こえ始めた。しかも近づいてくる。もちろん前方のカップルも私たちに気がついている。このままでは身動きがとれなくなると思って「こっち側にいますのでお先にどうぞ」と声をかける。「えーと、こっち側というと」「右側です。私たちはあなた方の右側にいますのでどうぞさきに行ってください」。こんな会話が自然と出てくる。なるほど!!私がいてあなたがいる。私とあなたの間に意識がある。普段、自動ドアなどに慣れているとそこに本来なら障壁となっているはずの扉に意識すら向かない。ドアの前に立つと扉がなくなるのだから。ところが養老天命反転地ではそうはいかない。明らかに狭い道、身体を曲げないとくぐれない不自然な出っ張り、声を掛け合わないと通れない通路などがそこかしこに存在する。すると、さっきまでとは全然違うパビリオンに見えてくるのである。でもそれは、大地の感触、壁の感触、重力方向、視覚、聴覚、そして自分にとって大切な人の触れ合いを全身で感じようとしている自分自身の変化であった。まさに身体は受容表面であったのだ!!

 「意識の認知とともに、行為が働いているために、意識の働きを認知の中に回収することができない。たとえ一週間住み込んで養老天命反転地に慣れ親しんだとしても、慣れ親しんだ分だけ、たとえば速く歩くことができる。歩く速度が1.5倍に変われば養老の風景は一変する。この時再度筋肉を作り、身体を作り直さなければならない。」(河本英夫、春秋No.466、2005)。経験が行為に影響して認知とともに同時に作動する。まさに二重作動(double operation)が動いている状態であり、身体を改変しているのは自己制作つまりオートポイエーシスである。

 中日新聞の記事に書かれていた記事も養老天命反転地の経験も、他者からの一人称記述なので、多くの人は単なる三人称記述としか理解できないかもしれない。しかし、養老天命反転地を体験していない人は一度実際に経験してみると良い。いや、理学療法士や作業療法士などのリハビリテーションに従事する人間は経験すべき場所である。できれば、あなたにとってとても大切な人と一緒に体験して欲しい。それは妻でも夫でも恋人でも親でも子供でもいいと思う。そこで、養老天命反転地を作り上げた荒川修作とマドリン・ギンズという天才の「工夫」と、リハビリテーションにおける「ヒント」に触れることができるかもしれない。

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