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EssayNo.8  今日も考え中

小鶴 誠(理事)

 非常に通勤がつらい。所要時間は、車で一時間と少し。往復二時間・・・。つらい・・。
したがって、僕は運転しながら行きも帰りもよく考え事をする。「今日の晩御飯は何かな?」みたいなことから、脳科学から訓練まで。僕のそんな通勤中にする「考え事」からこのエッセイを綴ってみたい。

* 通勤はつらいというか、正確に言うと時間がもったいない。電車が使えるなら本に目を通すこともできるのだが、車の運転中に本や新聞を読むなんて芸当は僕にはできない。たまに新聞を読みながら運転してる人を見かけたりはするのだが、そんな人は福岡市東区の悲惨な事故も所詮他人事なのだろう。注意を拡散していることに関しては、飲酒運転となんら変わりないというのに。

 もちろん、運転中はあまり深い思考はできない。なので、記憶の断片をたどるといったほうが正確のような気もする。音楽やラジオも聴くが、これは聴くというよりただ流しているだけである。では、どんなことを考えているのか。1時間のうち、10分くらいは患者さんのことを考えている・・・と思う。その多くはその日に行う訓練であったり、行った訓練であったり、患者さんが発した言葉を反芻したりである。

 Aさんは膝が悪い。いわゆる膝OAで、痛みがでてはそれを訴える。そんな方に、(歩行時「機能解離」の状態であるから)、膝の動きを学習させたいと思い、軌道板を使って訓練した。訓練後「なんとなく膝がわかったような気がする」「なんかいい感じです」と言われたのだが、直後に「ところで先生、鮫の軟骨(そんな錠剤がある)は効きますか?」と聞かれた。「わかりません」と答えたのだが、その日の帰りの車の中では「僕の提示した訓練は鮫の軟骨に負けたのだ」と思い、非常に悔しかった。このAさんは決して悪い人ではない。むしろ、優しい方である。ただ、訓練後に、「膝がいい感じ」になっても「ずっと良いかも」という確証が得られなかったのだと思う。でも、ここでクジケテはいけないのである。では、どうしようかと考える。
どこが悪かったかと考える。車の中で・・・。このような人は次の日も熱心に病院にやってきて、「今日もよろしくお願いします」と満面の笑みで言われるのである。今日は「鮫の軟骨」に負けないようにしようと思う。

 先日はかなりコタエルことがあった。Bさんは脳出血を発症された。この方の訓練はかなりうまくいっていた。ご本人も訓練のコンセプトを理解したうえで訓練に挑んでくれているものと思っていた。訓練中は「ほら、こげん動くごとなりようですよ」「昨日より今日のほうが足がむご(とても)わかるとです」などと自身の身体理解に対し、肯定的な記述が多く聞かれていた人であった。もちろん、歩行という動作は代償運動の獲得につながるので「今はしない」ということは重々言い聞かせていたつもりだったのだが・・・。ある時の回診にて豹変された。医師に対し、足を曲げる動作(ROM訓練みたいな格好)をしながら、「こげな事をせな治らんとやないとですか?(こんな風にしないと治らないのではないですか?)」と怒りを抑えることなく噛み付かれた。さらに「歩かせてもらえん(もらえない)」とも訴えられた。回診に同行していた同僚からそのことを聞き、愕然とした。ほんとうにがっくりきてしまった。帰りの車の中では順調に進んでいたつもりになっていた自分を責めた。でも、くじける暇はなかった。歩行とは「歩かせてもらう」事ではない。自ら「歩く」事とは決定的に違いがある。この事をどう理解してもらうか?
次の日が勝負である。車の中のみならず、その日の思考は寝床の中まで続いた。が、答えはでなかった。

 Aさんは息子さんと暮されるために転居された。僕はもうセラピストとしては関わっていない。まだ「鮫の軟骨」を飲まれているのだろうか?

 Bさんは最近、無事に自宅に戻られた。杖無しで、片麻痺を患ったとは思えない歩容で。
Bさんは最高の笑顔で病院を出て行かれた。少なくとも僕にはそう見えた。Bさんが「歩かせてもらえない」と訴えられた翌日、僕とBさんの間であったことは、うまく言い表せない。
ただ、必死であったことは確かである。僕の本気が伝わったのだと信じたい。

 *こう書いてくると、僕は、訓練は上手くいったときよりも、うまい仮説を立てられなくて、検証で躓いたときや患者さんの気持ちが理解しきれてなかったときの方がよく覚えているようである。この失敗を繰り返さぬよう、臨床で患者さんと向き合う。本も読む。もっと、もっと人間を知りたいと思う。

 僕は臨床家である。日々の臨床は、自分自身の研鑽である。
今日も明日も目の前に患者さんがいる。臨床の場では、常に患者さんと相互作用を行い、ともに成長したいと思う。さて、今日も1時間かけて病院に向かおう。

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