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EssayNo.10  マンネリが最大の敵

森岡  周(理事)

* 昨年末に送られてきたTemi(日本認知運動療法研究会通信10号)は、ふとしたところで見逃してしまう可能性が大きかったが、それをたまたま見てしまった私は驚きを隠せなかった。いや、なんだかうれしい気持ちに包まれた。実は、この記述を書くことを迷い、今日(年を越えた)までに至ったが、少なからずとも認知神経リハビリテーションのための基礎科学を研究している一人として、お節介ともいえるが書いておこうと思う。

 まずは到達把握運動の研究で著名なGentilucci M.である。Gentilucciは到達運動、いわゆる離散運動は自らの運動表象に導かれている事実を言語化の視点から明らかにしようとしている。上肢の到達把握運動は、目標物、すなわち道具と身体との相互作用から発現する。そのためには、運動前野の活動が求められるのは言うまでもない。これは先人の神経生理学者によって、サルおよびヒトの両者から明らかにされている。この際、運動前野の活動は運動性言語野の領野を含むことから、道具の認知に基づくネーミングを自動的に行っていると考えられている。すなわち、名詞の内言語化である。道具のネーミングは道具の観察と同様にヒトの運動前野を活性化させる。しかしながら、Gentilucciはそれだけでなく、道具から表象される動詞の内言語化が、目標物の操作の多様性のなかから、あるひとつを選択すると指摘している。すなわち動詞の内部表象が、運動の自由度を決定づけているというものである。また、道具に対して形容詞を修飾させることで運動の制御が変化することを明らかにしている。例えば、大きい(grande)や小さい(piccolo)では把握運動に、遠い(lontano)や近い(vicino)では到達運動に影響することを明らかにした。これらの成果に関する私の解釈は近い将来に論文として問わせていただくつもりである。なお、GentilucciはParma大学神経生理学教室の教授である。もう一人の教授はミラーニューロンで有名なRizzolatti G.である。どういうコラボレーションができているかは想像がたやすいだろう。

 もう一人、私のなかで注目したのはSirigu A.である。彼女は失行症や頭頂葉研究では押しも押されもせぬ世界の第一人者である。たびたび、マスターコースやアドバンスコースでも研究成果が取り上げられる。特にPante F.女史の講義には数多く活用されている。Siriguは失行症の運動イメージ障害について10数年前から言い始めた一人である。近年では、運動準備電位の研究(Haagard P.との共同研究)から、頭頂葉損傷患者では、自らの運動における準備電位の発現の欠落や、他者観察中における運動準備電位の発現の欠落が認められることを明らかにしている。今回の講義テーマは「Lobo parietale infeiore corpo e moviment」であることから、身体運動における頭頂葉下部の役割について話されたようだが、全体のテーマが身体と言語であることからも想像されるし、その前の講義がPante女史による観察と言語に関する内容、後の講義がRizzello C.女史による訓練による経験の言語であることから、角回や縁上回を含んだ頭頂葉下部の身体と言語の機能について話したのかもしれない。取り立てて、そうした領野は最近の神経科学によって、身体、物体、あるいは自らの行為・運動の隠喩(metaphor)表現を生み出す場所として知られている。その前の講義がAntonucci A.M.であることからも、そうした論議が三人の女性(Sirigu、Pante、Rizzello)の間で交わされたに違いない。SiriguはFrance・Lyonの認知神経科学研究センターに今もいる。その研究室のボスは運動イメージ研究で有名なJeannerod M.であった。Chicago大学のDecety J.もその研究室の出身である。実は、Siriguはイタリア人であることが、先日アドバンス講義のため来日していただいたPante女史との会話によりわかった。英語、フランス語、イタリア語をたくみに使い分ける知的な女性なのだろう。想像は膨らむ。

 感覚と感覚の情報変換、あるいは、感覚から運動への情報変換に関連した物体または身体に向けた言語化が運動制御・運動学習の鍵になっている。これは、目的こそ違っても、GentilucciとSiriguの研究論文を読んでも明らかである。私は学習における「意識の言語」過程から、それがいつしか自動化し、そしていつでも意識化(取り出すこと)することもできるこの「経験の言語」の生成に関する論議に関して、リハビリテーションの視点から日本でも基礎科学者を交えて行えることを夢見ている。いや、近い将来実現したいと思っている。他者意識に触れること、それを「Riabilitazione Cultura」では行っている。

 学会、研究会、地方の勉強会が数多く行われている。マンネリが「私」のこころの発育の最大の敵であると思う。ただし、「論議」の視点を忘れないでほしい。いつしか受身で教えてもらっている(教えている)だけの「私の意識」に遭遇しないように、自らに愛の「ムチ」を入れてほしい。一方、そうした新しい科学に触れることだけがマンネリを消去するものでない。「伸張反射の亢進」ひとつとっても果たして厳密かつ詳細に論議されているのだろうか。その言葉だけで終わらせてないだろうか。なぜ患者の身体をゆっくり動かすべきなのだろうか。そしてそれを反証するためには・・・ 果たしてこのことについて何人のセラピストが自らの科学的な視点(仮説)で説明できるであろうか。原点に戻ること。それもマンネリを解消する手続きであると思う。

 今度のマスターコースのテーマは「痛み」である。私の好きな何名かの研究者が出るか、そして、イタリアの仲間が、どのように解釈し、どのように治療に翻訳しようとしているか、帰国した日本の仲間から早く聞きたい。今から待ち遠しい。

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