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メッセージNo.31  「何が「脳」を動かしているのだろうか?」

 何が脳を動かしているのだろうか?

 最近、直感的に浮かんだテーマである。

 まず、この問いの立て方は正しいのだろうか、それとも間違っているのだろうかと考えた。考えてみれば、この世界に存在するすべての名前(言葉)の後に「OOとは何か」と付けて問うことができる。それは「私とは何か」をはじめとして無数にあるだろう。「心とは何か」、「身体とは何か」、「人生とは何か」、「リハビリテーションとは何か」・・・といった具合である。

 アリストテレスは哲学(形而上学)を「実体(真に存在するもの)を探求する学」と定義している。つまり、実体を探求することが「OOとは何か」と問うことである。

 しかし、ここでは「脳とは何か」と問うてはいない。「何が脳を動かしているのか?」と問うている。

脳は問いの立て方が正しくても間違っていても動くという習慣がある。

脳は問う必要のない問いを発し、誤った解答を導くという習性がある。

 その例として、哲学者の大森荘臓は次のように述べている。

「浦島太郎は竜宮でどうして呼吸できたのか」(問い)

「当時既に竜宮では酸素ボンベが発明されていた」(解答)

 僕らの生きている世界は、この種の愚かさに満ちているかも知れない。しかし、人間の生きる世界は、人間の脳が作ったものである。だから、人間の脳によって世界は新たに作り変えることができるはずである。

 先日、東京のジュンク堂で河本英夫先生と対談した時、この浦島太郎の話をした。先生は、さらに「なぜ、お姫様は開けてはならない玉手箱を浦島太郎にお土産として手渡したのか?」という問いを立てた。その解答は、「玉手箱の中身は記憶だった」という。閉じ込めつづけておくべき記憶を蘇らせた結果、浦島太郎は「老いた」のである。過去を封印しておくことが若さであり、過去とともに生きることが老いであるということか。この解釈によって、童話は哲学書へと変わる。浦島太郎の物語が新しい世界を生成する。これが世界の変貌なのだろう。注意すべきは、浦島太郎の物語は何も変わってはいない点である。世界が変貌したのは、自己が変わったからである。それは問いの立て方に起因している。

 翌日、寺山修司の「詩的自叙伝―行為としての詩学―」を買った。喫茶店で読んでいて、偶然という名の「奇跡」に出会った。その本の中に、次の詩があったのだ。

せんせい
うらしまたろうは
「さようなら」というとき
みみや くちに
みずが はいると おもいます

おおはら・きよあきという子どもの詩であるという。
哲学者は子どもに学んでいたのである。

「何が脳を動かしているのだろうか?」(問い)
「それは問いである」(解答)

 認知運動療法における「認知問題」の本質について、あるいはフッサールの現象学的還元について、もう一度よく考えてみようと思った。

2006.4.1

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