認知神経リハビリテーション学会

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メッセージNo.81 僕はカスピ海の浜辺に咲く朝顔になれます −大野一雄について

 1996年、高知県立美術館で、大野一雄(舞踏家)の『睡蓮』を客席の一番前の左側の席で観た。彼は、この世のものとは思えない世界を身体の動きでつくった。一度だけ、舞台の左側の最前方に身体をぎこちなく揺らしながらやってきて、僕を注視したまま踊った。その眼は遠い彼方の世界を見つめていた。その眼は僕を射抜いた。僕は、彼の魂のようなものを彼の”まなざし”から感じた。そして、舞踏とは、身体の動きだけでなく、眼でも踊るものだと知った。眼のダンスというものがあるのだ。

浜昼顔

 公演の夜、館内のレストラン『ピチカート』でレセプションがあった。主催者が一般的な紹介をした後、当時、88歳だった彼が奥さんと一緒に登場し、挨拶の冒頭にいきなりこう言った。

 『僕はカスピ海の浜辺に咲く朝顔になれます。』

 この言葉は、僕が人生で出会った最も美しい言葉である。また、彼は確か『僕は電線に止まる孤独なカラスにもなれる』とも言った。つまり、彼は何にでもなれるのだ。朝顔になって浜辺のそよ風を感じ、孤独なカラスのまなざしで世界を見ることができるのだ。

 大野一雄とは誰か?

大野一雄氏
大野一雄

 戦後の日本モダンダンス界のスターでありながらも、異色とも言える作品を多数発表。土方巽との出会い、その化学反応の中で舞踏を生んだ。その後しばらく舞台活動に距離を置きながら、長野千秋監督と『O氏の肖像』を始めとする3本の映画を製作したのち、1977年、齢72歳にして『ラ・アルヘンチーナ頌』で華々しくカムバックデビュー。世界各地を巡演して舞踏の名を広く知らしめ、2010年、103歳にて他界するまで踊り続けた。彼のことを土方巽は「ひとさじで痺れさす劇薬のダンサー」と言い、人々は「魂の踊り」と評した。

−大野一雄舞踏研究所ホームページより

 先日(2017.12.9)、高知県立美術館で、川口隆夫のソロダンスパフォーマンス『大野一雄について −About Kazuo Ohno』を学生たちと一緒に観た。今は亡き大野一雄の舞踏の動きを川口隆夫が完全コピーすることで大野一雄を再現(representation)する試みである。名作『ラ・アルヘンチーナ頌』を始めとして、『わたしのお母さん』、『死海、幽霊、ウィンナーワルツ』などが上演された。

 川口隆夫は自身のオフィシャルサイトで次のように述べている。

川口隆夫氏
川口隆夫(Photo by Bozzo)

 即興的な要素も含み、老齢というだけでなく特異な身体的・運動的特徴や癖までをもその本質として含んだ大野の踊り。そこに足すも引くもなく、忠実にコピーしようと努めることは、コピーを行う主体側の解釈や特性を消して、可能な限りその対象に自分を重ねようとすることに他なりません。

 しかし、重ねよう、寄せようとすればするほど、その重ならない部分、どうしてもはみ出してしまう部分が、逆に、その主体の存在の消すことのできない有り様を浮かび上がらせるとう、「コピー」であるがゆえに「オリジナル」であるという、パラドックス。

 観る者はそこに生前の大野の面影を重ね、大野を知らない者もまた、そこに大野の踊りを想像し重ねます。そうして複数の像が交互に前に出あるいは後退する。『大野一雄について』は、今は亡き大野一雄との、幻のデュエットを踊る作品です。

−川口 隆夫 (オフィシャルサイト www.kawaguchitakao.comより)

 再現(representation)とは、ペンフィールドによれば脳の運動野の「ホムンクルス(脳の中の小人)」である。フーコーによればマグリッドのパイプの絵の下に記された「これはパイプではない」という文字であり、サルトルによれば「類似的代理物(アナロゴン=イメージ)」であり、ペルフェッティによれば「あるものの代わりにある何か」である。
 したがって、再現とは単なる「模倣」ではない。それは他者からすれば「コピー」なのだが、再現する自己にとっては「オリジナル」なものだ。

 模倣は他者の動きのコピーは「解読(decoding)」であり、意味の読み取りが前もって決まっている。一方、 再現がオリジナルなのは自己の「解釈(interpretation)」が含まれるからであり、意味の読み取りが前もって決まっていない。

 僕が言いたいのは、認知神経学者のフランシスコ・バレラが自己(self)には「生物的自己(biological self)」、「個人的自己(personal self)」、「社会的自己(social self)」があると述べているように、人間の脳(大脳皮質)には感覚−運動サイクルの「生物的再現(biological representation)」、「個人的再現(personal representation)」、「社会的再現(social representation)」がなされているということだ。
 それらすべては世界を再現するのではなく、子どもの頃からの身体と環境との相互作用に根ざした、意識経験を伴う、感覚−運動サイクルの発達プロセスとして、「生きる世界」の再現を自己のオリジナルとして形成してゆくということだ。それが人間の行為(パフォーマンス)のアイデンティティなのだ。

 つまり、人間の行為は三人称的(客観的)であると同時に一人称的(主観的)なのである。神経心理学者のルリアは行為の分析には「クラシカル・サイエンス(客観的な科学)」と「ロマンチック・サイエンス(一人称言語記述の科学)の”まなざし”が必要だと言っている。また、バレラはこの関係を「経験と科学のダンス」と言っている。

 そして、リハビリテーションにとって患者の行為の分析は治療の出発点として決定的な意味をもつ。たとえば、身体の各関節には異なる機能がある。肩や肘は空間を探索し、前腕や手関節は物体の形に適合しようとし、手指は物体を把持しようとする。体幹や下肢の関節の機能もそれぞれ異なる。そんな異なる機能の複合体として身体は動いている。
 さらに、それらの機能の組み合わせで人間は道具を使用し、何かを他者に伝えようとしたり(情報伝達)、他者とコミュニケーションしたり、情動を生み出したり、意味を与えたり、美しさを表現しようとする。それらすべてが行為であり、運動スキルであり、セラピストは行為(運動スキル)の中に、機能が、情報が、多感覚が、記憶が、コミュニケーションが、情動が、意味が、美しさが生物的、個人的、社会的に再現されていることを発見しなければならない。

 そのためには「感性が理性を超越する」ことを肝に銘じておく必要があるだろう。学生たちは大野一雄の行為(動き)に、機能を、情報を、多感覚を、記憶を、コミュニケーションを、情動を、意味を、美しさを見ただろうか? (暗黒舞踏は難易度が高すぎただろうか? グロテクスな動きの内に潜む美しさを発見しただろうか? でも若い頃に経験しなければ何も始まらない、すべては驚きから始まる、大切なのは理性の前に自分の感性に気づくことだ)・・・

 僕は川口隆夫の行為(動き)の美しさに息が止まるほどだった。思わず涙が溢れそうだった。彼は大野一雄になって踊っていた。人間が朝顔やカラスや他人になるということは、スポーツとは違う意味で最高難度の芸術的な人間の行為なんだ!!!

 そして、最近、発達障害児の行為や模倣障害を分析しながら、そのリハビリテーション治療の不十分さを強く自覚しながら、自分が生きている内に「行為(運動スキル)の謎を解く」決意をした。

 脳卒中後の失行症では異種感覚間(視覚的、体性感覚的、言語的な動き)の模倣(マッチング)ができなくなる。発達障害児では「ごっこ遊び」や「物や誰かになって行為する」のが遅れる。ここには自己の行為でありながら他者の行為であり、他者の行為でありながな自己の行為であるという、人間の行為の謎がある・・・。

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